仕事してると本が読めない現象を歴史から紐解く本-「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」三宅香帆

エッセイ

「残業続きで本が読めない」

「疲れすぎて本が読めない」

こういう悩みを一度は経験したことはありませんか?

私自身も残業続きで疲れ果て、まったく本が読めない時期がありました。

「あんなに読書が好きなのに、どうして読めないんだろ?休みの日も本を読む気に全くならない。。。」

という日々が続いたことがあります。

この本は日本の読書史、労働史から「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読み解いていく本です。

日本は昔から長時間労働の国であり、戦前前後は1日10時間以上働くのは当たり前でした。

一部の大卒のエリートと一般庶民との格差もあり、その格差は現在のものとは比べ物になりませんでした。

読書はもともと一部のエリート層のためのものでしたが、1960年代から「一般庶民でも教養を身につければ一発逆転もあるかも。。。」という流れができ、一般庶民にも読書が普及していきます。

1970年代からは自己啓発書が流行し、英語やその他のスキルを身に着けるための読書が流行っていきます。

日本人はもともと理由はどうあれ本を読む習慣はあったわけです。

しかし、「英語を学ぼう」「自己研鑽をしなければならない」「若者の読書離れが深刻だ」というテーマをなんと半世紀以上も続けているのです。

今と昔で全然変わってないじゃないか。

インターネットが普及し始めるとどんどん本を読む人が少なくなっていきます。

本は「自分が知りたいこと以外の情報(ノイズ)が入っているし、読み終わるまでに時間がかかる」けど、ネットでは「自分が欲しい情報だけを得られる」というように効率重視になっていきます。

「働いていると本が読めない」状況は、長時間労働で疲れていたり、スキルアップを求められている状況で「サクッと必要な情報だけ欲しい」という人々の正直な欲求の結果なのだなとこの本を読んで思いました。

著者は「日本の長時間労働&全身全霊で働け!」という状況を変えて「半身(全身ではなく)で働く」ことによって読書や余暇を楽しむ余裕がある社会を作っていこうと提案しています。

半身で働くとは、半分は一生懸命仕事をして、半分は趣味や家事や楽しいことに使おう、そのほうがゆとりがあるではないかということです。

なかなか実現は難しいと思いますが、そういう社会のほうが余裕があり、本を読んだり余暇を楽しむことができて、結果的に生産性も上がるのではないかと思いました。

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